11月20日号のオピニオンを書きました。
日本人と結婚したパキスタン人の方に、日本の印象について話を聞いてみた。パキスタンというと私たち日本人から見たら、治安が悪いという印象が先行してしまうが、その人が言うには、「日本は物質的には先進国であるが、精神的には私たちの方が先進国だ。日本の若者の精神は幼稚なものである」ということだ。
確かに、他国と国民性を比較してみても、外国人は比較的オープンに心をさらけ出すが日本人はそうでないと言われる。もちろん、オープンになろうと努力している人もいるだろうが、なかなかそれができない傾向にある。なぜかと問うならば、それは心をさらけ出して見せるべきもの、心の軸がないことが影響している。
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国内には外国人登録の人数が増えてきていて、二〇〇六年度末には二百八万名超になったということだ。〇七年に婚姻届を出した人の十六人に一人が国際結婚で、特に東京や大阪の中心部では十人に一人というデータもある。
そういったグローバル化の反面、課題として挙げられているのが少子化である。十五歳から六十五歳の生産人口、いわば経済に直結する人口が減ってきている。世界でも有数の高齢化社会になり、経済の規模が落ちてきてしまっているのである。二〇五五年までに四千万人の生産人口が減少すると言われている。
衆議院議員の中川秀直氏は、一千万人の移民を受け入れて外国人労働者を増やす政策を提案した。しかし一千万人では減少する四千万人を補うことはできない。国連人口部の統計によると、日本が今の経済の基準を維持するためには年間六十四万人の外国人を受け入れないといけないということだ。単一民族神話のある日本に四千万人の外国人が来たら、多民族国家に変わっていくのである。
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留学生が「日本にいてあまりいいことがなかった」と言う声をよく聞く。外国人ということで周りと違った目で見られて、教授やホームステイの家にも暖かく迎え入れられなかった、というのである。そのような日本が本当に世界に優しい国家であるのか、と疑問符がついてしまう。それが現状である。そこで、増えてくる外国人と日本人が、いかにして共生し住みよい社会を築いていくことができるのか、ということが大きな課題となってくるのである。
そうなると、単一民族国家としてあった日本にかつてない大変革が起こるべきである。日本の良さは何であり、何を軸としていかに共生社会を作っていくか、まさに日本という国家の再編成をしていかなければならない。
小泉政権時に出された骨太の方針二〇〇五の中で、多文化共生社会の実現に向け整備が遅れている四つの分野が指摘された。そのうちの二番目に「共生する文化がないこと」が挙げられていた。
秩序を重んじる日本にあっては、ごみを出す曜日に関係なく毎日出している近所のブラジル人は受け入れがたく思われるのが当然である。ただ、これはもちろん外国人の問題でもあるが、それ以上に日本での秩序を優しく教えてあげられてない日本人の問題なのである。法律のみでなく、文化がここまで大きく取りあげられるのも、外国人と共生した歴史のない日本人特有の問題なのである。
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共生の文化を所有していくにおいて大切なことは、国や政府に頼ろうとするのでなく、市民一人一人が生活の中で努力を積み上げていく姿勢に帰着する。市民が未来の日本のあり方について明確な意思を持ち、行動をしていくことが重要である。
日本人として常識だと思っていることで、外国人に通用しないものは多くある。文化・宗教が違うため当然の話だ。例えば、「愛」という概念を表現するにおいて、日本人は相手の気持ちを考えたり、静かに真心を尽くしたりする傾向がある。しかし、韓国人は主体的に愛の言葉を投げかけていくという方法をとる。そこでその違いに目を向ければ、受け入れることのできない葛藤の思いに悩まされてしまうことであろう。しかし流儀こそ違えど、相手を思いやる気持ちは何も変わらないものである。そういう共通のものに目を向けることができれば話はまた変わってくる。
共通点を見つけるべく努力していくことが、やがて来る多文化共生社会に順応することのできる「姿勢作り」に直結することとなるであろう。
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こんな感じです。
外国とは国民性が結構違うというのは結構聞いていたことではあったけど、結構他人事だと思って聞いていたところもありました。でも、いろいろ調べていく中で、結構差し迫った問題だったということを知りました。外国人との方のつきあい、真剣に考えていかないといけないですね。
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