「またか…」そう思った人は日本中に少なくないだろう。W杯アジア最終予選、多くのチャンスを作りながら日本はオーストラリアと無得点で引き分けた。守備は良く頑張った。パスが回り、支配率は圧倒、相手守備陣の裏を突く良い攻撃だった。しかし決定打がない。散々言われ続けた「決定力不足」という言葉が脳裏に浮かぶ▼強豪国におけるラグビー選手の育つ環境について、ラグビー元日本代表の平尾誠二氏が話す記事を見たことがある。子供にはボールをゴールまで運んだら得点とだけ伝え、とにかくゲームをやらせるという。皆いかにしたら点を取れるか必死に考え、そのための手段としてパスを学ぶ。「点を取るために」という目的意識が身につくのだ。サッカー強豪国にも同じことが当てはまる▼日本サッカー界を見ると、「パス」「インサイドキック」などの「形」から教える。そして、「形」が上手にできる子が試合に出るのだ。これでは「ゴール意識」が後回しだ、パスのためのサッカーではないか。なるほど、欧州選手権二〇〇八で優勝したスペインの華麗なパス回しが、日本と違い「ゴールのためのパス」と言われたのはこの違い故か▼小学校では、国語や算数などの「知識」を多く教えてくれた。しかし、その「知識」を用いて「何のために生きる」という目的までは教えてくれなかった…確かに、日本では道徳教育が軽視されていると言われる。他国からも日本は「ビジョンがない」と指摘される▼今年は総選挙の年、日本の行く先を明確に示すビジョンが期待される。国際社会においても「強豪」の仲間入りをする一歩を踏み出したいところだ。
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